普通ってなに? 当たり前って? それ大事?
そんなのありえない〜 あったりまえだろ〜 え〜、そんなの常識じゃない! 普通さぁ、そんなことしないよね。
どれも、日常的によく口にすることばたち。 数えてみたことはないが、1日に一度かそれ以上、ほぼ無意識的に使っていると思う。 実際私は「ありえない〜」が口癖だった頃があったけど、いつだったかある時から意識的に使わないように決めた。
ありえないって言ってるお前がありえねーだろって気づいたから。
ありえないって、なに前提? 当たり前、ってほんと? 常識、って誰の? 普通、じゃそうじゃないと異常なの?
普通って? 常識って? そういうことを妖アパは、繰り返し繰り返しいろんな場面で描いて知らせてくれる。
同じだと、なぜか安心
出身が同じ、血液型が同じ、好きな音楽が同じ。 わー!私も、俺も!と盛り上がるひととき。
人と共通点を見つけると、私たちは嬉しい。 その相手との距離がぐっと近くなった気がする。 初対面の相手でも、仲良くなれそうな気がする。
ほんの小さなことでも「共通点」を見つけると人は親近感を抱く、というのは心理学的にもよく言われていることで、それはそのまま「安心感」につながる。 (芸能人格付けチェックでドアを開けた時に抱き合って喜んでいるのはこれを端的に示していて面白い)
裏を返すと、同じじゃない、共通点が見つからない相手に対しては親近感は生まれにくく、距離を感じ、安心できない。 安心できない、が高じていくと、不安、恐れ、敵対意識なんかにつながってしまう。
それはある意味しょうがないことなのかもしれない。 いかにも自分より大きくて強そうで、自分をとって食いそうな相手に親近感を抱けと言っても難しいし、恐れるなというのが無理ってもの。
○○したがる私たち
だからと言って、異質なものは全て敵、寄らば斬る、てのも極端すぎ。 原理主義に陥ってしまう。
線引きをして ラベルを貼って グルーピングしたがる
そしてしばしば、中身を確認することもなくラベルだけで相手のことを決めつけてしまう。
見たことある、知ってるのは、いい けど 見たことない、知らないのは、よくない
とか
同じ、は仲間だけど 違う、は仲間じゃない
とか
だから夕士が初めて寿荘でオバケやら妖怪やらに出会い、常識が崩れパニックになったときの住人とのやりとりがとっても面白い。 こんな環境にいて平然としている一色さんが不思議でしょうがない夕士。 あろうことか一色さんの口からはこんな言葉まで。
「面白い仲間たちだからネ」 詩人は笑って答えた。 「仲間? オバケが?」 「そぉ、彼らはアタシたちと同じ。彼らなりに普通に暮らしているだけ。中にはいいモノも悪いモノもいる。これもアタシたちと同じ。なにも変わらないよ」by 一色黎明(詩人) 「妖怪アパートの住人たち」(第1巻)
夕士の反応は、とっても分かりやすい「ふつう」の反応。 一方でここに十何年住んでいる一色さんから返ってくる言葉も、”彼の” 普通がベースになってる。
ベースが違うのだから、そりゃ噛み合わない。
画家の深瀬とのやりとりなんて顕著で。 たぶん自分が夕士の立場だったら、同じかもっと取り乱すかも、と思いながらも端からみると相当笑える。
「オ……オバケ⁈ オバケなのか⁈ なんで……え? あれ? 一色さんや深瀬さんは人間で……あれ? 一色さんは、もう十何年ここに住んでるって……?」 「ああ、俺も十年以上ここにいる」 画家は煙草をくゆらせた。 「なんの問題もないぜ?」by 深瀬明(画家) 「寿荘」(第1巻)
これも、あれも、もしかしたら……
あんなに初対面の時はアパートのオバケや妖怪に驚いていた夕士も、しばらくしたら「見えるものが増えてきた」と言えるほどに慣れていく。
人の順応力ってすごい。 全く知らない”ゼロ”から、少しでも知ってる域に踏み入れたらどんどん平気になっていくのは、思い車輪もはじめにゴロンと転がってしまえば加速がついて早く回っていくのに似ている。
知らないものは得体が知れず、モヤっとしてるから怖いだけ。 知ってしまえば、その怖さはなくなる。
前から知ってるものに似てるかもしれない。 実は捜し求めていたものかもしれない。
この朝の風景と同じく、なにひとつ変わらないようで実は全く違うものが、自分がそう思いこんでいるだけで、実は全く違うことが、世界には溢れているのだ。by 夕士 「妖怪アパートの住人たち」(第1巻)
知る、という光が差すと世界はもっと広くなる。 そう、知るだけでいいの。
理解するのはもっと、ずっと後でいい。